■五日市 剛 「ツキを呼ぶ魔法の言葉」より
大事なのは、心の持ち方よりも言葉の使い方
「ツイてる!」といえば必ずツク!」
「ありがとう」「感謝します」、この二つの言葉にはちょっとした使い方のコツがありました。
嫌なことがあったら「ありがとう」、逆に、いいことがあったら「感謝します」と口にすれば、さらに効果的だとおばあさんはいうのです。
いいことがあったら「感謝します」、はわかりますが、嫌なときに「ありがとう」は理解できませんでした。
イスラエルのおばあさんは「嫌なことがあると、嫌なことを考え、嫌なことがまた起こる。そんなときに「ありがとう」というと、その不幸の連鎖が断ち切れるのよ」と教えてくれました。
さらに、おばあさんは、絶対に口にしてはいけないことがある、といいました。それは、「汚い言葉」と「怒ること」です。汚い言葉を口にすると、その言葉どおりの人生になり、人を怒ると、それまで積み上げてきたツキが、いっぺんに吹き飛んでしまうのだそうです。
■私の子供の中学校の先生が配ってくれたプリントより
どうやら先生が、東北地方大震災に関するツイッターの声を、’元気の出るつぶやき’としてまとめ、自分が担任するクラスの生徒に配ってくれたものです。
そのなかの一部から。
●日本って世界一暖かい国
4時間の道のりを歩いているときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、世界一温かい国だよね。あれ見たときは感動して泣けてきた。
●ありがとう
駅員さんに、「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さい子達を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
●死ぬ気でがんばってくれている人がいる
停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧しているわけじゃない。
俺らがマダカナーと言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれている人がいる。
●いつでも買える
今日、募金箱に金髪にピアスの若い兄ちゃんが万札数枚入れていた。そしてその友人に「ゲームなんていつでも買えるからな」と言っていたのが聞こえて私含め周りの人達も募金していた。人は見た目だじゃないことを実感した。そんなお昼でした。この話感動しました。
●おっちゃん
昨日4時間かけて歩いて帰ってきた主人。赤羽で心が折れそうになってた時「お寒い中大変ですね!あったかいコーヒーどうぞ!」って叫びながら無料配布しているおっちゃんに出会った。これがあったから頑張れたそうだ。もう5回もこの話をしてくるので本当に嬉しかったんだと思う。おっちゃんありがとう。
●
ディズニーシーにて
ディズニーシーに一泊した娘、無事帰宅しました! キャストのみなさんが寒い中でも笑顔で接してくれて不安を感じることなく過ごせたそうです。防寒のカイロやビニール袋、夜・朝の軽食と飲み物、おやつまで。ディズニーの素晴らしさに感動です。頑張ってくれたキャストさん、ほんとにありがとう!
●お菓子いっぱい
すごい。弟たった今ディズニーランドから帰宅したんだけど。新品のお菓子袋いっぱいにもらってきて、客全員分の帰りの交通費負担してくれたんだって。一晩中、何か言えば全て対応してくれたって。やっぱり世界のディズニーランドなんだね。
●バス停で ・ ・ ・
バスが全然来ない中、ある人が、バス停の前にある薬局でカイロを買ってきて、並んで待っている人みんなに配った!
●日本ってすごい
日本って凄い。官僚も民間も、皆で助けようとしてる。トラックの運転手も有志で物資運んでるらしいし、東北の交通整備をヤクザさんがやっているという話も聞いた。最近、日本に対して誇りをもてないことが続いてきたけれど、そんなことない。日本は凄い国だ。素直に感動してる。日本国の皆さん頑張ろう!
●渋滞した交差点での出来事
一回の青信号で一台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。複雑な交差点で交通が5分間以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。
被災地の復興が進んでいないと伝えるTVのニュースのなかで、
「(道路を塞いで復興を妨げる)瓦礫といっても、それは持主にとっては大切な財産だったんです。」
という言葉がとても心に残りました。
以来、日々の生活で出る生ゴミを見ても、もともとはその野菜や魚にとって生命を維持するうえで大切なものだったのだなと感じ、感謝してから捨てるようになりました。
■スタジオ・ジブリの映画の中のセリフやシーンのなかから
「天空の城ラピュタ」から
ムスカ大佐に銃を向けられながらシータが言う有名なセリフ
(ムスカ大佐はジブリの隠れた人気者ですね〜いろんな意味で…)
「
今は、ラピュタが滅びたのがよくわかる。
ゴンドアの谷の歌にあるもの。
’土に根を下ろし、
風とともに生きよう。
種とともに冬を超え、鳥とともに春を歌おう。’
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、
土から離れては生きられないのよ!」
好きなシーン
ラストのバズーとシータが同時に破滅の呪文’バルス’を唱える直前のシーン。
バズーがシータの手を取って、一緒に呪文を唱える。
破滅の呪文を唱えるときの彼女の重荷を自分も一緒に背負ってゆこうとするバズー、そのいたわりと愛、互いの深い絆は涙なしには見られないです。
「千と千尋の神隠し」
宮崎駿さんがTVで語っていた話です。
ある風俗店で働く女性が「もともと自分は少し日引っ込み思案で、少々自閉症タイプだったけれど、多くの人と話してゆくうちに自分を回復して元気になっていった、生きる力をもらっていった、という話を聞きました。これが千の千尋の映画を作るきっかけとなりました」というような内容だったと思います。
TVで語られた内容なので、記憶違いもあるかもしれませんが、おおよそ上記のコメントだったと思います。
解釈というのはいろいろあると思います。
私が思うには、多くの人々とコミュニケーションを持ってゆくなかで(映画のなかではほとんどが変な人たちのなかで)、「生きる力」をもらってゆく、ということだと解釈してます。異世界へ行ってしまう前の千尋はとてもに無気力な感じの少女として描かれています。
ジブリ映画のコピーライトを見てゆくと、「もののけ姫」は 「生きろ。」 だし、
千と千尋の神隠しのテーマ曲のひとつのタイトルは「いのちの名前」ですね。
「風の谷のナウシカ」
「風の谷のナウシカ」のアニメには無いマンガのほうの内容です。彼女は最後にすべて(腐海や火の7日間、その後の世界など)が過去の人々によって仕組まれた世界であったことを知ります。そこで地球再生システムとしての人工生命体との対決があるのですが、その場面で
「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」
「いのちは闇のなかのまたたく光だ!」
と主張するナウシカの言葉は今もその意味について深く考えさせられるものがあります。映画も良かったですが、マンガのほうがとても深い言葉がたくさんあって、一読をお勧めいたします。(ストーリーやこの言葉の背景を説明していないので、何のことかわからないですよね、ごめんなさい。)
「いのちは闇のなかのまたたく光だ!」この言葉の解釈というのはいろいろあると思います。私は「生」と「死」を分けて語ることはできない、「生」は「死」に支えられている、というふうに解釈しています。
深い言葉なのでまだまだ思索中です。宇宙空間は闇だし、星は光として瞬いていますよね。これをひとつの表象としてとらえた場合、何を意味するのか…
ある宇宙飛行士が宇宙から地球を見たときのの感想は、「真の暗闇のなかに浮かぶ青い宝石」と表現していました。宇宙はたくさん星が輝いているように見えるが、宇宙に出て見ると、宇宙空間は底知れなく暗い真の闇だ、とも。
ゲーテの色彩論においては「色彩」は「もしもこの世界に光だけしか存在しなかったら、色彩は存在しない。もちろん闇だけでも成立しない。光と闇のなかにあって、この両極が作用し合う、「くもり」で、色彩は成立する」とゲーテは論述している、とWikipediaにあります。
Wikipedia「ゲーテの色彩論」によれば、
「眼はひとつの色彩の状態にとどまらず、明るさと暗さという両極にあるものを呼び求めることによって新たなる色彩を生み出す。ゲーテにとって生きるとは、活発に運動し、新たなるものを創造することである」
「色彩は静止したものではなく、それ自身の内部に力を有して運動するものであり、動きもその色単独のものだけではなく、他の色と結びついた動きであるというこの考え方は色を有機的・生命的に捉えたものだと言える。」
■姫神「神々の詩」より
ア バ ナア ガ マポ
アニ ノノ ト アヤ ト
イネ ト イエ ト
オト シ ブ イ ブ ム
上記の歌詞は縄文語で、以下が現代語の意味
「わたしの名前はマポです。
わたしには祖父(祖母)、父、母、兄(姉)、弟(妹)がいます。」
この繰り返しでこの曲全体が成り立っています。
非常にシンプルなこの言葉の繰り返しに、自分自身の確固たるアイデンティティ、自分と自分の家族を何よりも誇りに思う、そうして力強く生きた縄文人のエネルギーが感じられます。
かつて岡本太郎が自分自身の芸術のスタイルを模索していたときに、国立博物館にある「縄文火焔式土器を見て衝撃を受けた、それに共通するエネルギーをこのシンプルで力強い歌詞と曲は表現しているように私は感じます。
’土に根を下ろし、
風とともに生きよう。
種とともに冬を超え、鳥とともに春を歌おう。’
縄文の人々は皆、この歌詞のまんま生きていたと思います。
「音の神秘〜生命は音楽を奏でる」 ハズラト・イナーヤト・ハーン著
土取 利行訳
「宇宙の音楽は、私たちが音楽とよんでいる小さな像の背景にあたるものです。
音楽に感じたり、引かれたりするのは、私たちの奥深くに音楽が存在していることを示しています。全宇宙の営みの背後に存在している音楽は、最高の生の目標であるばかりか、生命そのものなのです。
ペルシアの偉大な詩人ハーフィズは、「多くの人が、生命は音楽の助けをかりて人の体内に入るというが、実は生命そのものが音楽なのだ」と言っています。」
「つまるところ、音楽とな何なのでしょう。いわゆる音楽とは、耳に聴こえる音の調和のことですが、実は色のなかにも、線の中にも、音楽はあるし、種々の草木が繁茂する森にも音楽はあります。そして、そこでは草や木の共生の仕方にハーモニーがあります。より広く自然を観察すれば、自然はさらに人の魂に訴えかけてきます。どうしてでしょう。そこに音楽があるからです。
より広い生命観を持てば、生命への理解が深まり、音楽がもっとよく聴こえるようになります。全宇宙に呼応する音楽が聴こえるようになるのです。でも心の開けた人は、森に出かけるまでもなく、雑踏のなかにいても音楽を見出せます。」
「どこにそのような世界があるのですか。空の上、それとも地の下ですか」ときかれたら、これらの世界はいずれも自分と同じ場所にあると答えましょう。
ある詩人が言うように、「人の心はいったん広がれば、大空よりも広くなる」。
それゆえ、あらゆる時代の深い洞察力をそなえた思想家は、生に目覚める唯一の方法は、おのれを空にすることであると考えてきました。
すなわち、すべての体験をより鮮明かつ完全に受け入れるために、自分自身をより鮮明かつ完璧な器にするということです。人生の悲劇、その悲しみや苦しみはほとんど、この世の生の表層に属しています。
完全に生に目覚め、生に感応でき、生を感受できれば、不思議なものを探し求める必要もなく、霊と交信する必要もない。目を開けてよく見れば、この世のどんな原子も不思議なものなのですから。
生のなかに深く潜行し、その深みに触れる者の体験はどんなものなのかという問いかけに、ハーフィズはこう答えています。
「目的地がどれほど遠いかは分からないが、はるか彼方から音楽が私の耳に聴こえてくるのはよく分かる」
「全宇宙の営みのハーモニーは、人間の生命の奥底で、完璧な音楽として集約されます。それゆえ天上の音楽とは、創造の根源である音楽、すべての創造の目的地に向かう旅の途中で聴こえる音楽なのです。
それは自分自身の生命の奥底に触れる者によって聴かれ、楽しまれるものなのです。」
「ゲーテ格言集」(新潮文庫)から
「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」
似た言葉で、萩尾 望都さんの「11人いる!」のなかでは、
「直感は間違えない。間違えたらそれは直感ではない」
と語られています。また別の本(ゲーテでない別の人の本)では、「体感は間違えない。間違えたとすればそれは判断を間違えたのだ」とあります。
「特殊なものが、より普遍的なものを、夢や影としてではなく、究め得ないものの生き生きとした瞬間的啓示として表す場合こそ、真の象徴である。」
「内面のものを熱望するものは、すでに偉大で富んでいる。」
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